陸王 実話 メーカー
アクセスして在庫があった時はゲットしておくことをおすすめします!スポンサーリンク『陸王』は放送終了後、1週間は『陸王』はポイントレンタル配信されているので、31日間の無料お試し期間でも、通常の会員と同様のサービスを受けることが出来るので、見放題扱いになっているドラマや映画、さらには雑誌が無料で読み放題となるのはうれしいポイントですね!無料登録期間に解約をすれば料金は一切かかりませんので、この機会に試してみてはいかがでしょうか?※紹介している情報は2017年10月時点のものです。現在は配信終了している場合もありますので、詳細は公式ホームページにてご確認ください。※第1話放送終了後数日は配信がスタートしていない可能性がありますので、ご了承ください。ということで、池井戸潤さん原作のドラマを見るのにおすすめのVODを調べました☆こちらの記事を書いた2017年10月14日の段階ではが見放題配信されており、VODの中で最も多くの作品を無料で見られるサービスとなっています。Huluは2週間の無料トライアル期間があるので、この機会に試してみてはいかがでしょうか?まだ6月だというのに真夏のようなうだる暑さの中、宮沢紘一と安田利充はトラックをある場所へ向けて走らせていました。朝9時に埼玉県行田市を出発し、向かっていたのは宇都宮市の工業団地。目的は倒産した足袋製造業者「菱屋」の工場。早速安田と中を覗いてみると、目当ての品がちゃんとそこにはありました。それは、「ドイツ式八方つま縫いミシン」でした。これはもともと靴を縫うためのミシンでしたが、日本に渡ってきて足袋製造に改良されたもの。もちろんドイツのメーカー自体がとっくに倒産しているため、部品が壊れると他の国内品から部品を取り出して転用するしかなかったのです。宮沢は3日前に菱屋の社長・菊池に話をつけ、20万円で譲ってもらえるよう話を付けていました。11時になると菱屋の4代目社長・菊池が現れ、ミシン10台を約束通り譲ってもらえることに。小1時間かけてトラックにミシン10台を積み込み、2人はその場をあとにしました。「どうだった、あれ」と宮沢が荷台を指さしながら尋ねると、「上物っすね」と安田。それを聞いて「よし」と安堵のため息を漏らした宮沢。行田に戻った2人は、会社近くの大衆食堂で遅めの昼食を終え、そこから10分程のところにある「こはぜ屋」に向かって再び走り出しました。「こはぜ屋」があるのは、埼玉県行田市の中心地からやや南下した水城公園とさきたま古墳公園に挟まれた場所。従業員数は、正社員とパートを合わせても27名の小所帯。1913年の創業以来100年以上の歴史を誇る足袋製造を生業としてきた老舗が「こはぜ屋」なのです。しかし、昨今の世の中の流れにより足袋への需要はあっという間に底這いとなり、もはや廃業した菱屋のことは他人ごとではなくなってきていました。行田というはそもそも足袋の町で、その生産量はかつて日本全体の8割を占めていたほどでしたが、今ではもう「こはぜ屋」を含めた数軒しか生き残っていません。従業員の平均年齢は57歳、しかも最高齢は75歳と極めて高く、ミシンの古さ同様、現在のこの業界の状況が如実に表れていました。そんな「こはぜ屋」に10台のミシンを積んだ宮沢らのトラックが到着し、それを見て事務所から飛び出してきたのは、ゲンさんこと富島玄三。先代社長の頃からのベテラン社員であり経理担当でもある富島は、到着したミシンにしたものの、どこか浮かない表情を浮かべていました。すぐに察した宮沢が「何かあったか」と尋ねると、「実は、返品が来ちまいまして」と富島。検針漏れによる返品だと知った宮沢は、すぐさま息子である大地を呼びつけました。今年で23歳になる宮沢の長男・大地は、大学卒業後に就職に失敗。現在は職探しをしながら家業を手伝っている状態で、彼の担当が検針(製品に針などが混入していないかのチェック)だったのです。ふてくされながら父親のもとへやってきた大地が言い訳を述べ立てると、容赦なく宮沢は叱りつけました。それをとりなす富島。どうやら取引先の大徳百貨店も再検針さえ済めば今回の所は大目に見ると言ってくれているのだとか。「あんな態度じゃ、どこ行ったって勤まりゃしねえ」と怒りの収まらない宮沢。大地には甘い富島は「こはぜ屋を継いでくれるといいんですが」とついこぼしてしまい…。口に出した瞬間に気付いたのか、すぐに事務所に逃げ込む富島。「息子には継がせない」というのは宮沢は常々公言していることで、今ここで働いているのはあくまで次の就職先が決まるまでのつなぎでしかなく、そのことは誰もが知る所だったからです。宮沢が家業を息子に継がせないのには彼なりの理由がありました。それは、衰退していくこの産業を息子に継がせるわけにはいかないという思いからくるもの。自分の代は何とか食えるものの、これ以上この仕事に未来はないと思っていたのでした。その後、社長室へ戻った宮沢のもとに資金繰り表を手に再びやって来た富島。今月末か来月に2千万は借りないと厳しいのだそう。翌日、宮沢は取引先の埼玉中央銀行の担当者である坂本太郎もとへと向かいました。「来月までに2千万、ですか」と、提出した書類をじっと見つめる坂本。しばらく書類に目を通した後、2週間ほど時間が欲しいという坂本の言葉を受け、その場で突き返されることを危惧していた宮沢は、一瞬安堵したのですが…。「でも社長、これからどうされるおつもりですか」宮沢は、いつになく真剣な面持ちでそんな言葉を投げかけてきた坂本の真意が推し量れずにいました。まだ30そこそこではあるものの、言いたいことをズバッというタイプの坂本は、衰退していくばかりの足袋産業の将来性を危惧していたのです。言葉に窮する宮沢。地道な営業努力は買うが、もっと違った発想で新規事業を展開していくことをそろそろ考えるべきでは?と坂本は提案しました。これまで家業を続けることしか頭になかった宮沢には、全くその発想が浮かんでいなかったのです。坂本はさらに続けます。今ある技術を生かして何か出来ないかと。こはぜ屋さんの強みって何ですかと。それに対し宮沢は、「考えたこともない」としか言えませんでした。翌日、東京へと営業に出かけた宮沢。あいにくの雨模様で渋滞にも巻き込まれ、気分は沈み込んでいました。その原因は何も雨や渋滞だけでなく、昨晩大地と少々やり合ったことにもありました。今日電機メーカーの面接があるということで、昨夜いきなり会社を休むと言い出したことで「そういうことは前もっていえ」と宮沢が叱りつけたのです。しかも、工学部を卒業したのにもかかわらず今回は営業職の面接だということで、就職できればなんでも良いのかと叱責した宮沢。「いまどき足袋作ってる会社で働くよりは百倍マシだろ」こう言い返してきた大地についカッとなり、口論にまで発展してしまったのです。かつてはいきなり家業に入る前に他所で修行してこいという父親の言葉もあり、大徳百貨店で売り場担当として経験を積んだこともあった宮沢。ただ、あの時何かを得たのかと言われると、特に大したことは身に着けていなかったなと宮沢はひとりごちました。俺は今までチャレンジしたことがあったかと自問自答しても、出てくる答えは「ノー」。だからこそ息子には自分とは違う人生を送ってもらいたかったのです。大徳百貨店に到着し、購買担当の矢口に先日の検針漏れの件を謝罪した宮沢。普通なら取引の見直しにすら発展しかねないことでしたが、かつてここで働いていたこともあり、大事には至りませんでした。しかし、もっと重大なことが宮沢を待ち受けていたのです。それは大徳百貨店の改装により“和装”の売り場面積が3割減になるかもしれないということ。矢口の意向としては10月半ばくらいまでには改装を完了させたいと思っており、それ以降の仕入れについてはまた後日相談させてくれということでした。肩を落として車へ戻り、銀座や渋谷、新宿、池袋と得意先を回るもどれも大した成果があげられず、どっと疲れて帰路につこうとした宮沢に娘の茜からメールが入っていました。「忘れないでね」という書き出しで、頼まれていたことを思い出した宮沢。娘から指定されていたスニーカーを買ってくる約束をしていたのです。運動靴売り場で目当ての靴を見つけ店員に在庫を出してもらうのを待っている間、宮沢の目にふとあるものが飛び込んできました。それは奇妙な形をしたシューズで、なんとつま先部分が5本指に分かれているものだったのです。興味深く見ていると店員に声を掛けられ、この靴がビブラム社の「ファイブフィンガーズ」というものなのだと教えてくれました。地面を掴むように裸足感覚で走ることができるため、大変な人気商品なのだということを知った宮沢。帰りの道中、宮沢の頭の中には先ほどの靴のことが頭の中を駆け巡っていました。「地面を掴むように、裸足感覚で走る」というは地下足袋と同じ理論だと思っていたのです。宮沢が子供の頃は足袋で走ることが珍しくなく、そもそもが走りとは無縁ではなかったもの。地下足袋のようなランニングシューズが人気なら、ランニングシューズのような地下足袋がウチにも出来ないか…そう考え始めたのでした。宮沢のアイデアを聞いた富島は、かつてウチにもマラソン足袋というものがあったと教えてくれました。さらに足袋でオリンピック(1912年のストックホルム大会)に出場した金栗四三(かなくり しぞう)のことも詳しく知っていた富島。昔ウチで作っていたものが倉庫に眠っているはずだから探しておいてくれと宮沢が頼むと、富島はどうにも気が乗らない様子でした。富島としてはあんなものを今更復活させたところで意味はないと考えているようで、余計な出費がかさむことも懸念していたのです。そんな話をしていると埼玉中央銀行の坂本がやって来ます。すると机の上に置いてあった「ファイブフィンガーズ」の写真に気付き、宮沢が思いついたアイデアについて話すと…。「いいですね、それ」と興奮気味に賛同してくれました。まずはランニングシューズの研究から始めてみると宮沢が言うと、その前に「走る」ということそのものについての理解が必要なのでは?と坂本。知り合いにランニングのインストラクターがいるというので、紹介してくれるという流れになり、宮沢も二つ返事でその言葉に乗りました。数日後 ―横浜市内でスポーツショップを経営する有村融のもとを坂本と共に訪れた宮沢。マラソン足袋を復活させるというアイデアを宮沢が話すと、熱心に耳を傾けてくれました。専門家からの意見を伺いたいと問いかけると、足袋そのものは運動に向いていると答えた有村。昔は運動会でも使用する程のものだったものの、安全上の理由から現在ではほとんどなくなったのだとか。保護者達が懸念していたのは、グラウンドに色々なものが落ちていて危ないということ。しかし、一般的なランニングシューズなら100%安全かというとそうでもなく、趣味としてのランニング愛好者が増加する一方で足の故障も増加しているのだそうです。それは、ソールのクッション部分があまりに分厚くなってしまったことにより、走法そのものが間違った方向になってしまっていることのようで、宮沢としてはそんなことは頭をよぎりもしませんでした。分厚いクッションの入ったシューズで走ると、人はどうしても踵から着地をし、つま先で蹴るという走り方になってしまいます。けれども、そういった走法は膝を痛めがちで、特に初心者の場合は腸脛靭帯炎と呼ばれる故障を起こしやすいというのです。こうした故障事例の多さを踏まえた近年の研究では、ある面白いことがらが判明しているのだとか。それは、マラソンの強いケニアの選手やオリンピックに出場経験のある日本人アスリートが皆一様に足の中央で着地するミッドフット着地、あるいはよりつま先に近い部分で着地するフォアフット着地をしているという事実が判明したこと。有村に言わせると、それこそが人間本来の走り方なのだそうです。有村は「タラウマラ族」というメキシコの辺境に住む部族を例に挙げました。彼らは1日に何十キロととにかく長い距離を走ることで有名なのだとか。そして彼らが履くのは、サンダルのような粗末な履物(ワラーチ)で、しかも素足なのだというのですから宮沢にとっても驚きもひとしおでした。ワラーチの実物写真を見せてもらった所、平べったい靴底に自転車のゴムタイヤを貼り付けただけのような代物で、これ走れるなら地下足袋でも行けるのでは…と宮沢の心に一筋の光明が差し込むのでした。半年後 ―暦は2月から3月に入ったばかりで、行田の厳しい冬はこはぜ屋の業績にも影を落としていました。昨年の10月に予定通り大徳百貨店の改装が完了し、同時に売り上げも1割減。大徳百貨店が主要取引先であるだけに、非常に厳しい状況を迎えることに。そんな中、宮沢がいたのは品川駅にほど近い京浜国際マラソンの会場。有村がぜひにと誘ってくれたのです。宮沢の傍らには大地もいました。3月に入っても未だに就職は決まっていなかった彼を誘ってみたら、どうやら走りに興味があるらしく意外にもついてきたのです。レースが始まり、場内に映し出された画面でランナーの走り方に注目して見ていた宮沢。すると、大地が突然「…まずいな」とつぶやきました。それとほぼ同時に実況が茂木選手の様子がおかしいことを伝え、宮沢も注視すると…。彼はダイワ食品の選手で、去年は東西大学で箱根の5区を走っていた茂木裕人だと大地が教えてくれました。どうやら膝を故障したようで、完全にトップを走るライバルの毛塚直之に離されてしまう茂木。かつては東西大学のエース・茂木と明成大学のエースで同じ箱根の5区を争った2人でしたが、今回も(箱根でも明成が完全総合優勝)また毛塚が勝利を上げることに。翌朝、富島に新規開発について相談する宮沢。開発チームを発足させたいんだがと切り出すと、「私がどうこう言う話ではない」と必ずしも本音ではなさそうだったものの、一応の了承は得ることになりました。チームのメンバーとして係長の安田、縫製課リーダーの正岡あけみ、大地、そしてオブザーバーとして埼玉中央銀行の坂本にも声をかけてみようと思うと宮沢。話を終えると「ああ、それと」と言って富島が古ぼけた段ボールを持ってきました。かつてウチで作っていたマラソン足袋を見つけてきてくれたのです。宮沢が見ていると周りの社員も集まってきて、みな物珍しいそうに手に取っていました。その中に丁度係長の安田の姿もあったので、新規開発について話すと「ああ、いいっすよ」と気楽な返事を寄越した安田。彼がマラソン足袋を手に取り、裏返すと、ゴムの靴底に商品名が型押しされていました。「これだ、ヤス」と宮沢。今度開発する足袋の名前を『陸王』にしないかと意見を求めると、ヤスも周りの社員たちもみな賛同してくれました。品質管理課のフロアに行き、大地にもこの話をするも、彼は全く乗って来ませんでした。足袋屋がランニングシューズを作っても成功する訳がないというのです。無駄かどうかはやって見ないとわからないと宮沢が反論するも、最後まで彼の気持ちは変わらないようでした。その後、大地を除く開発チームで開いた簡単な結成式において、『陸王』のコンセプトはケガや故障をしにくいミッドフット着地を実現するシューズだと宣言した宮沢。経費の問題などあれこれ数字をひねくりまわす前にまず作ってみて、そこから始めようということで全員の意見は一致。早速、安田を中心に商品開発がスタートしました。2週間後 ―『陸王』の試作品第1号が完成。宮沢と坂本、そして出入りの運送業者の江幡に履いてもらおうと、安田はサイズ違いの3種類の試作品を製造しました。椋鳩通運の江幡は、かつて長距離の有名選手だったそうで、この話をしたら協力してくれるということになったのだそう。家に帰った宮沢は、早速『陸王』で走ることに。地面の凹凸が直に感じられるほど、生ゴムの靴底は繊細で、クッション性はあまりなく、走っていると徐々に痛みすら覚えるようになっていました。さらにそれ以上に宮沢を悩ませたのは、親指とその他の4つの指の間にある皮膚の痛み。「ダメだな、これは」と耐え切れずに走れなくなってしまった宮沢がつぶやきました。数日後に椋鳩通運の江幡からも好感触とは言いかねない感想を伝えられることに。指の股が痛くなかったかと尋ねると、実はそれが真っ先に気になったことだと江幡。ただ、悪い点ばかりでもなく、最初に足を入れた時のフィット感は非常に素晴らしく、履いていて気持ちよかったということも言ってくれました。「まあ、最初はこんなものか」と宮沢。一番の問題は指の股の痛みで、内側に当て布をするなどの解決策を安田は示しましたが、宮沢にとってはどうもしっくりきません。宮沢は足袋屋だから足袋の形で作ったが、あの二股が必要か?と問いかけます。そこでつま先部分をいっそのこと丸めてみようという話になりました。靴底のゴムの厚さについても変更せねばならず、「現時点で可能な限りの改良に取り組んでみようや」という宮沢の言葉で、『陸王』の開発が再開されました。それからしばらく後、6月最初の土曜日。有村のショップで坂本共に、新たに改良された『陸王』を見てもらっていました。つま先部分を丸め、パッと見は和風テイストのシューズに見える『陸王』を「いいデザインじゃないですか」と有村。ちょっと試しに外で走ってくるという有村をドキドキしながら待っていると、「なかなか、良いですよ」と10分ほどして戻ってきました。しかし、ランニングシューズとしてはまだ売り物にはならないと思うと有村。ソールの耐久性の問題があるので、このままでは300キロも持たないはずだというのです。誰か有名選手が練習用にでも使用してくれたら、今後の改良やプロモーションも含めて一番の近道かもしれないという有村に、誰か紹介して欲しいと坂本が頼むと…。面識はないけど、大和食品の茂木裕人ならいけるかもしれないと有村。練習場や寮も埼玉にあったはずだし、こはぜ屋さんにとっても都合がいいと有村は続けましたが、宮沢は気後れし、ただ呆然とするばかりでした。6月半ば、埼玉県上尾市にあるダイワ食品スポーツ管理センターを訪れた宮沢。陸上部監督・城戸明宏にアポを取り、会ってはくれたものの何の実績もないこはぜ屋の相手をしてくれる訳もなく、なす術もなく退散を余儀なくされることに。(シューズを渡すことだけは渡したが)ちょうどその頃、同じ場所を大手スポーツ用品メーカーであるアトランティスの営業部長・小原賢治とカリスマシューフィッターの村野尊彦が訪れていました。茂木のサポートを行っているのがアトランティスで、今日は彼のケガの様子を確認しに来たようです。当初は肉離れ程度のものだと思われていた茂木の負傷でしたが、実はもっと深刻で半腱様筋腱の部分損傷(左足付け根にある筋の損傷)であることが判明したと監督の城戸から聞かされ、困惑する村野。医者からは走法そのものを変えない限り、再発は免れないかもしれないということを伝えられており、茂木が選手として再び表舞台に立つことが出来るのかということが危ぶまれていたのでした。こはぜ屋に戻った宮沢が安田に事の次第を話していると、埼玉中央銀行の坂本がやって来ます。彼にも城戸監督との一部始終を話すと、まだ始まったばかりだと励ましてくれたので、宮沢が坂本さんのおかげだと言葉を返すと…。坂本が急に改まった口調になり、「実は、ご報告しなければいけないことがありまして…」と切り出してきました。なんと前橋支店に異動になることが決まったそうで、残念そうに唇を噛み締め「すみません、社長」と坂本。あまりかける言葉も見つからず彼を送り出すした後、富島からは島流しだと告げられ、驚く宮沢。どうやら行田支店長の家長亨とはウマが合わなかったようで、そのせいで飛ばされたと富島は睨んでいたのです。こはぜ屋一同は、次の担当者が坂本のように必ずしも好意的に態度を見せてくれるのかといった不安に苛まれるばかりでした。それから3日後。坂本と共に後任の大橋浩が引き継ぎの挨拶に訪れるも、明らかに坂本とは異なるタイプで、こはぜ屋のような伝統産業を基盤とする零細企業を下に見ている向きすら感じられました。2人が去っていくのを見つめながら、大きな後ろ盾を一枚失くしてしまったような喪失感が押し寄せていた宮沢。それからしばらくして、有村から一本の電話が掛かってきます。それは、新宿にある私立の中高一貫・光誠学園が体育で使用するシューズを検討しているというものでした。有村が『陸王』についての情報を光誠学園の担当者に伝えた所、ぜひお話を聞きたいということになったそうで、嬉しくなった宮沢は二つ返事で了承。10日後、光誠学園にて本件を担当している井田夏央のもとを訪ねた宮沢は、早速『陸王』のサンプルを見せると、先方もどうやら興味を持ってくれたようで、2週間後の保護者連絡会でプレゼンして欲しいという要請を受けることに。2週間後、光誠学園でのプレゼンの日。最初は緊張していた宮沢でしたが、保護者の方たちもどうやら興味を示してくれている様子だったので、気分もほぐれ、最終的には好感触を掴みました。うまくいったと思いながら立ち去ろうとすると、こちらに向かって不敵な笑みを浮かべるスーツ姿の男性とすれ違った宮沢。その男性の胸の襟章の特徴的なデザインを宮沢も知っていました。「アトランティス、か…」月曜日、午前11時。待ちに待った光誠学園から連絡が入ります。「話を終えようとする井田に理由はなんだったのかと食い下がる宮沢。一番大きかったのは実績がないことだと伝えられます。さらに価格についてもアトランティスの方がこはぜ屋の倍近い値段設定をしており、単に価格競争に負けたという訳ではなく、実力で負けたことを知り愕然とする宮沢。事の次第を伝えた安田からは明るく「またやればいいんですよ」と声を掛けられたものの、宮沢は今回の完敗に打ちのめされていました。ダイワ食品の茂木はいまだ別メニューでの調整に励んでおり、新走法について模索していました。アトランティスの村野は、そんな茂木のことを心配し、シューズのソールを替えるなどで対応しようと親身になって相談に乗り、焦らず自分のペースで進めていくようにと諭します。そんな村野を呼びつけた営業部長の小原。「ウチはボランティアでやってんじゃないんだから」と彼を叱責しました。いつ走れるようになれるか分からない奴にいつまでも関わっているんじゃないということのよう。村野は反論しましたが、取り付く島もない様子の小原。今年で53歳になる村野は、かつて関西のシューズメーカーに勤めていたものの、この会社が倒産してしまい、人生は一度だけだからと一念発起。昔からの夢だったスポーツシューズの分野へと進むことを決意し、現在のアトランティスへと転職したのでした。現在の彼の肩書は「シニアシューズマイスター」。役職でいうと課長クラスで、主に実業団などで選手たちにシューズを薦め、サポートすることをが彼の主な業務内容。彼がサポートしてきた選手の中にはオリンピックに出場した選手もいたほど、この業界では彼の名を知らぬものはいないほどです。しかし、そんな村野も社内では決して恵まれた地位にいる訳ではなく、小原のようなアメリカ本社が採用した幹部に歯向かえば彼のキャリアは一巻の終わり。シューズフィッターという仕事が好きだから続けていられるものの、現状には大きな不満を抱いていたのでした。一方、『陸王』の今後の展開をどのように進めていくかを悩んでいた宮沢のもとに、一本の電話が掛かってきます。それは町村学園という学校からのもので、どうやら体育の授業で足袋を使おうということで業者を探していたのだそう。なんでも光誠学園とは兄弟校で、同校の井田から紹介を受けたのだという話を聞き、宮沢は改めて人の縁に感謝の念を抱き、一度話を聞かせて欲しいという要請を快諾しました。翌日の午後、千葉県佐倉市内にある町村学園を訪問し、早速担当者の栗山と話を進めていきます。本業である足袋のことであれば何でも来いと流暢に説明していると、感心したような表情浮かべながら聞き入っていた栗山でしたが、なにやら彼の表情に引っかかるものを感じた宮沢。尋ねてみると、どうやら足袋で校庭を走り回った時の安全性を気にしている保護者が一部いるようで…。その時、宮沢の頭にあるアイデアが閃きます。もう一足見ていただきたいものがありますといって、一旦車に戻り『陸王』のサンプル品を持ってきた宮沢。「ほう、これはおもしろいな」と栗山も興味を引かれたようで、通常の足袋と共に『陸王』の見積もりも取って欲しいと依頼を受け、その場をあとにしました。3日後。すでに見積もりを送っていた栗山からの回答を受けた宮沢。「一方その頃、再び茂木のもとを訪れていたアトランティスの小原と村野。小原は村野がいない所で茂木を呼び出し、この間村野が話していたシューズの件は少し待って欲しいと切り出しました。うちのスポンサードにはレースに出場予定という前提があると小原。それに対し、自分はもう外れたってことですか?と茂木。そうはいっていないが…と話を濁した小原でしたが、茂木にとっては聞こえの言い断り文句にしか聞こえませんでした。するとこのやり取りに気付いた村野が詳細を尋ねると、別に何でもない、シューズはレースを走れるようになってからという当たり前のことを言われただけだとうつろな目で答えた茂木。村野が取りなそうとするも、ほっといてくれと彼に背を向けて去って行ってしまいました。日本橋にある会社に戻った村野は、「なんで、あんなこと言ったんですか!」と語気を荒げて小原に詰め寄ります。勝手なことをしないで欲しいと村野が続けると、社の方針を無視して勝手なことをしているのはお前だと小原は反論しました。コストダウンは会社の方針であり、黙ってそれに従えと小原。なら私を外せばいいとすごむ村野。周囲に緊張が走ります。そのまま職場をあとにする村野を追ってくるものは誰もいません。なぜなら小原に逆らうことがどういうことなのか、誰もが知る所だからです。やりがいのある仕事だからこそ今まで我慢してきたものの、もう限界が訪れようとしていました。一方こはぜ屋では、町村学園からの受注分の生産する初期段階でトラブルに見舞われていました。繊維問屋の手違いでこの日朝一で手に入るはずだった材料が届かず、『陸王』の生産ラインがストップしてしまっていたのです。ようやく材料が届いたものの、すでに予定に大幅なズレが生じており、工場内はてんやわんやの状態。あけみは残業してでも今日のノルマはクリアするからと意気込み、最年長の冨久子をはじめとした縫製担当のベテラン社員たちも「まかせといて!」「絶対やるから!」とみな一様に活気づいていました。それから三日ほど残業の日々が続いた日の朝。出社した宮沢のもとに安田が大慌てで駆け込んできます。なんと冨久子が倒れて救急車で搬送されたというのです。皆には隠していたが実は心臓が悪かったらしく、連日の残業がたたったようでした。宮沢は残業せざるを得ない雰囲気を生み出してしまった自分を叱責し、あけみらに謝罪。しかし、当のあけみも休みたくても言い出せなかった冨久子の気持ちを察してあげるべきだった、涙を浮かべた頭を下げるばかり。みなが「あけみさんのせいじゃない」とフォローしてくれ、さてここからどう乗り切るかとアイデアを出し合いました。あけみは、自分が冨久子さんの分までやると言い張ったものの、それは帰って効率が悪くなるだけだと安田。安田は、いつも冨久子さんの隣で作業していた仲下美咲(最年少28歳)を指名。入社当初はミシンすら使えなかった美咲を一から指導してくれた冨久子に恩返しする時だと発破をかけます。自信なさげな美咲でしたが、みなに背中を押され、冨久子不在のまま『陸王』の量産が再始動しました。ようやく残暑も過ぎ去った秋、宮沢は前橋支店へと異動した坂本から久々に連絡を受けました。なんでも新しいソールを作れる可能性があるということで、翌日会って詳しく話すことに。翌日。時間通りにこはぜ屋を訪ねてきた坂本は、表紙の黄ばんだ古びたパンフレットを差し出しました。これは「シルクール」というインテリアの製造販売業者のものだと説明を始めた坂本。何でもこの社長がユニークな方で、一風変わった特許を持っているんだとか。そういって坂本はカバンからおよそ8cm四方にカットされたキューブ上の素材を取り出し、宮沢に手渡しました。「軽い…」思わず口を衝いて出たのはその言葉でした。この素材は何なのかと尋ねると「不良債権の山と化している前橋支店の倉庫の片隅に眠っていたんだそうで、強靭で軽く防虫効果もあり、なおかつ自然素材のため環境に優しい繭は、まさにソールの素材にピッタリだと坂本は続けます。宮沢もその意見に同意。ここの社長に会わせてくれないかと勢い込んで告げると、坂本はため息を漏らしこう言いました。「このシルクールという会社、二年前に不渡りを出して倒産してるんですよ」シルクールの社長・飯山晴之は、繊維メーカーに10年ほど勤務した後、父親が経営していたインテリア関係の会社を継ぐために地元に戻って来たのだそう。この会社をやりながら、一山当てるために繊維メーカー時代に培った経験を活かし、繭の加工特殊加工技術を考案し、特許を取得するに至ったものの、この開発費用で資金繰りが悪化。結果として二度の不渡りを出して倒産となったようでした。現在は破産申請が受け入れられ、法的には借金は棒引きされているが、今もなお債権者からの報復を恐れて身を潜めているとのことで、まずは彼の居所を見つけることが最優先課題ということで、坂本と宮沢の意見は一致。この件に関しては坂本がすでに着手しており、任せて欲しいと申し出てくれました。そして、今日はもうひとつ報告があると背筋を伸ばして座り直す坂本。「実は、私、銀行を退職することになりました」「なに?」といったきり絶句した宮沢。これは前々から考えていたことで、今の銀行の在り方に自分自身が合っていなかったんだと坂本は続けます。もっと夢のあるビジネスをやりたいと思い、すでに「東京キャピタル」というベンチャーキャピタル(投資会社)の内定をもらっているのだとか。そんな坂本からシルクールの社長についての新情報がもたらされたのは、それから数日後のこと。飯山の居場所を見つけ、なんとか会う約束を取り付けたということで、坂本共に高崎市内のビジネスホテルで待ち合わせることになりました。ロビーで待っていると初老の瘦せぎすの男が、警戒感をあらわにしながらも近寄ってきます。宮沢が一通り特許について説明すると、飯山はぶっきらぼうな口調で年間5000万円払えば使わせてやるとふっかけてきました。宮沢が食い下がるも、それが払えないなら諦めなと取り付く島もない様子の飯山。とりあえずまた後日連絡することにしてその場をあとにした宮沢と坂本。飯山は飯山で再起をかけようと必死なのは理解出来たものの、宮沢にとってはどうにも信用できるような相手には思えませんでした。飯山の妻・素子は、2年前の倒産以来働きに出ることもなくなった夫の代わりに、パートを掛け持ちして何とか家計をやりくりしていました。いつも家で何もするでもなくゴロゴロしているだけの飯山には、ほとほと呆れかえっていた素子。ある日、飯山はでっかい儲け話があると素子に持ち掛けてきました。どうやらある大手企業から特許使用に関しての問い合わせがあったらしく、年間数千万の使用料が転がり込んでくるんだというのです。行田の足袋屋さんの件はどうするの?と素子が尋ねると、あんな値切ることばかり考えているようなところはダメだと一蹴する飯山。2日後。素子が仕事を終えてアパートに戻ると、何やら中から飯山の甲高く上ずった声が聞こえてきます。どうやら儲け話の件は流れたらしく、飯山は一人悔し涙を流していました。するとそこへこはぜ屋の宮沢から電話が掛かってきます。宮沢は入院中の冨久子からのアドバイスを受け、一度工場を見てもらおうと何度も飯山にお願いしていたのです。今回もその件だったので、飯山が断ろうとすると…。素子は「いいじゃない、あなた」とそれを制止しました。素子の「地道にやろうよ」という言葉を飲み込んだ飯山は、ついに折れ、こはぜ屋を訪れることに。こはぜ屋を訪問した飯山は憎まれ口を叩きながら、中を見て回りました。ランニングシューズ界に殴り込みをかけたいという宮沢の心意気を受け止めた飯山は、特許については考えておくと言って、その場をあとにしました。その夜、飯山は電話で宮沢にこう告げます。「特許の件、いろいろ考えたんだが、お宅に使ってもらおうと思ってる」信じられない思いで聞いていた宮沢に対し、「ただし、条件がある」と飯山。使用料のことだったら無理だと宮沢が言いかけると、飯山はその言葉を遮り、ただ一つの条件を言い渡しました。「後日、飯山と交渉を行うこととなった宮沢。『陸王』の価格設定を6000~8000円前後と想定していると告げると、「「シルクレイ?」と宮沢が尋ねると、特許で製造した素材の名前が「シルクレイ」なんだと飯山は教えてくれました。さらに独占契約で期間は3年(技術顧問として)ということで一応の合意に至ったものの、シルクレイの設備投資に約1億円程度かかると聞かされた宮沢は愕然としてしまいます。焦った宮沢は制した飯山は「心配すんな。オレを雇えばもっと安くしてやるから」と宮沢をある場所へと連れ出しました。そこは、田園地帯の真っ只中にある大きな田舎家。聞けば、ここは養蚕農家で飯山の義理の弟の山辺博(妹の旦那)が営んでいるのだとか。そこの倉庫の中には厳重に保管されたシルクレイの製造機械が保管してあったのです。材料に関しても山辺が調達してくれるとのことで、一旦は闇に消えかかった『陸王』の道筋に新たな光明を見出した宮沢。一方、アトランティスの村野は小原に呼びつけられていました。「お前、どういうリサーチしてるんだ」と開口一番怒鳴りつけられら村野。今日たまたまダイワ食品に顔を出したら茂木が、すでに通常メニューをこなしていた所を見たというのです。これでもし茂木がレースで活躍したらどう責任を取るんだと小原は息巻いていました。それに対し村野は、なぜこれが責任問題に発展するのか理解できないと冷静に切り返します。そもそも茂木のサポートを打ち切ると判断したのは小原だと反論すると、お前の誤った情報に導かれたからだと小原。その後もしばらくやり取りを続けると、村野は「アトランティスも落ちたなぁ」と嘲りを込めて呟きました。そこまで責任を取れというなら、辞めさせていただきますと啖呵を切った村野は、そのままその場を立ち去っていくのでした。その頃宮沢は、定期預金を崩して何とか資金を捻出し、住居の確保など飯山を迎え入れる準備に勤しんでいました。問題は飯山の下に誰をつけるかということでしたが、そのことについて安田は「大ちゃんは、いけませんか?」と突然切り出します。驚いた宮沢はすぐさまあんな奴につとまるもんかと反対。安田としては工学部卒で機械や電機系の知識も多く、さらに若いから物覚えも早いということで大地以外に適任者はいないと譲りません。一応納得した宮沢でしたが、肝心なのは大地にやる気があるのかということ。とりあえず彼に話を持ち掛けることにして、安田との話し合いを終えました。飯山がこはぜ屋に顧問として来た初日。大地の方は彼の下につくことを「あ、そう」といっただけで特に拒否するでもなくあっさりと受け入れてくれました。そして早速『陸王』のソールの開発に取り掛かった2人。解決すべき問題はソールの肩さの調整です。当初のシルクレイの目的はひたすら軽くて硬いというだけのものでしたが、走るのに最適な硬さの調整をどう行うかが彼らの最大の課題でした。その後、飯山と大地は毎日のように残業する日々を繰り返し、周囲の人間もその熱心な仕事ぶりに感心していました。しかし、大地によると、あまり上手くいっていないようで、やはり硬さのコントロールが難しいのだそう。数日後、ソールについてのアドバイスをもらうために横浜の有村の店を訪ねた宮沢。店に入ると先客が有村と話しており、時間を潰してきますからと言って店を出ると、有村は構いませんから一緒にどうぞと同席を薦めてくれました。先客は50代くらいで宮沢と同年代の男性。有村が紹介してくれたのですが、なんとこの男性はアトランティスの有名なシューフィッターである村野だといういうではありませんか。『陸王』について相談しに来た宮沢でした、よりによってアトランティスの有名人と鉢合わせするとは…と気まずい思いを抱いていると…。「ちょっと、有村さん。勝手に“元”を省略してもらっちゃ困るな」と村野。驚いた宮沢が定年ですか?と尋ねると、「いやいや、クビになったんですよ」と村野は教えてくれました。そんな中、「村野さん、こはぜ屋さんにアドバイスしてあげたらどうですか?」と持ち掛ける有村。それに対し村野は謙遜しながら「私なんかダメですよ」と固辞。その後、村野がこれからはもっと選手と向き合って仕事がしたいという話を聞いていた宮沢は、突然こう切り出します。「その言葉にぽかんとした表情を浮かべた村野。宮沢は即座に発言を後悔し、変なことを言ってしまって申し訳ないと詫びました。その後も謝り続ける宮沢を有村が取りなし、そんなことより今日は何か話があったのでは?と話題をかえてくれ、ソールの新素材について話し始めた宮沢。シルクレイのサンプルを見せて説明をしていると村野も興味を引かれたようで、「「も、もちろんです。いや、大歓迎です」と狐につままれたような顔をしながら答えた宮沢。こうして、『陸王』開発チームにまた一人新たな顔が加わることになったのでした。以上がドラマ『陸王』の原作小説のあらすじ(第8章前半部分まで)になります。スポンサーリンク©Copyright2020
撮影は2017年ドラマの作中に、池井戸潤が手がけた作品に関連するものが登場する。 このため陸王も1952年(昭和27年)以降はハーレー系でない中型・小型車の生産をも開始、販路の拡大を目指したが、大小の有名無名メーカーがひしめき合う群雄割拠の戦国時代にあった1950年代の日本のモーターサイクル業界では、経営体質脆弱かつ開発力不十分な陸王の生き残りは困難だった。
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