横綱 空位 時代

横綱 空位 時代

   最初に挙げたのは、この3横綱の時代。長く王座を守ってきた29歳の横綱に、良きライバルとして同時昇進を果たした26,7歳の青年横綱2人という組み合わせも面白いが、短いながらも予想以上に白熱した三つ巴の争いが繰り広げられた。「北玉」が13勝2敗で決定戦を戦い、同時昇進した45年1月、一人横綱大鵬は全休。一人横綱の章で記述したように、「柏鵬」と謳われたライバルの柏戸が引退してからの4場所間、優勝30回の大鵬は沈黙していた。柏鵬から北玉へ時代は動いたと世代交代が叫ばれた。   最長期間を誇る4横綱時代。       惜しいのは、朝青龍・白鵬の2横綱時代。大関との差は歴然としており、実力と番付が一致、キャラクターも好対照で、これぞ2横綱時代という様相。劣勢だった朝青龍が22年初場所を制し、さあこれからというところ、土俵外の事件で終止符が打たれてしまった。輪湖、曙貴に迫る長期間を記録してもおかしくなかった。案の定、年間86勝の白鵬と2強を形成する力士はすぐには出て来ず、24年まで白鵬の1人横綱が続いた。 また、複数(二人以上)在位している横綱が本場所の休場・引退などにより、一人のみの横綱が出場する場合を「一人横綱」と呼ぶことも有る。  若くして昇進した柏鵬は揃って長く在位。その間を、栃ノ海、佐田の山の2横綱が駆け抜けて行った。そのため4年あまりのブランクを経て2度めの2横綱結成。前期は大鵬が全盛で6連覇含む圧倒的な成績。柏戸はケガに泣く。後期は両者ともケガを抱えて、乱調もあったが、大鵬は45連勝を記録している。柏戸の引退で終結。  1年間、大きな動きがあった。全勝で連覇というこの世の春を迎えた三重ノ海が九州で引退。2度の途中休場、11勝が精一杯だった輪島がその場所を制した。北の湖は優勝するときは強いが、それ以外の3場所は壁になれず。若乃花は安定していたが勝負弱く、優勝一度に留まった。貴ノ花は二桁から遠ざかり、増位山がワンチャンスを活かして大関になったが、九州では3勝12敗と崩れるなど早くも先が見えてきた。飽和状態の横綱に割り込む勢力はなかった。栃赤城、朝汐、琴風が大関に挑むもならず。後半に急激に伸びてきた隆の里、千代の富士が期待を集める。 昭和の空位時代 昭和6年夏~7年10月(宮城山引退から玉錦昇進まで) 昭和の初めもなかなか横綱が現れなかった。昭和2年の東西協会合併で、江戸の2横綱に大阪の宮城山福松が加わって3横綱が君臨した。常ノ花寛市が最強で計10回の優勝を飾った。  名古屋では初日に3横綱が敗れ、2横綱が途中休場。北の湖が全勝で3連覇、優勝を20回に乗せた。秋は接戦となったが、同部屋の貴ノ花、隆の里の援護射撃を追い風に若乃花が抜け出し、最後は2金星の盟友隆の里を振り切った。九州場所、初日から連敗した三重ノ海が引退して4横綱時代は終わる。8日目まで若乃花、輪島とともに新関脇千代の富士が全勝だったが、3横綱が意地を見せて脱落させる。1敗で並んだ千秋楽、若乃花が北の湖に敗れ、大関貴ノ花を下した輪島が8場所ぶり14回目、最後の優勝を飾った。  しかし、翌場所以降一気に時代は逆流する(結果的に、世代交代を成し遂げるのは、この63年春に入門した黄金世代だったという皮肉!)。夏、休場明けの千代の富士が、逆転優勝で横綱を狙う旭富士を下して優勝。北勝海は14日目に故障発生。意外な重傷で年内の復帰叶わず。千代の富士は連勝街道をひた走り、大乃国は優勝を争うに至らず。名古屋以外、千代の富士を追う一番手は大関の旭富士だった。他の3大関、小錦、北天佑、朝潮は不振で対抗馬となりえず。63年九州、14日目で優勝を決め、あとは54連勝目を決めて初場所に双葉山の記録を窺うかと、みな気持ちが翌年に向きかけていた千秋楽、大乃国が千代の富士を下し、連勝を止めたのである。自分も横綱だと意地を見せつけた。

 58年、初場所で若乃花が引退。まだ29歳だったが、不調からの復活ならず。北の湖も休場が続き力士生命の危機。千代の富士は肩の脱臼にも怯まず安定していたが、それ以上に隆の里が台頭。春は全勝した千代の富士に苦杯を嘗めたが、以降毎場所千秋楽まで優勝を争う。名古屋の相星決戦で千代の富士を破り横綱昇進を決めると、翌場所の全勝決戦も制して新横綱全勝V。九州場所は北の湖や大関陣も優勝争いに加わっていたが、やはり2横綱が抜け出して相星決戦となり、ようやく千代の富士が隆の里に雪辱。しかし、59年の初場所は隆の里がまたもキラーぶりを発揮。4場所連続の千秋楽相星決戦を戦った千代ー隆の2強時代だった。だが、隆の里はこれが最後の優勝となる。以降は10勝程度の平凡な成績にとどまる。     最近の大相撲では、稀勢の里の横綱昇進が実現するかの話題で持ち切りですね。 ただ、この「横綱」という地位、その詳細はどのようなものなのでしょうか。 このページでは「横綱」という言葉の語源や負け越した力士はいるのかを交えて、 …  九州は立ち直った一人横綱と五大関、この年の優勝者3人、決定戦進出者1人が前頭筆頭までに収まるサバイバル戦。例によって前半から上位同士が当たって潰し合い、抜け出したのは大関を守るのに精一杯だったベテラン大関・琴櫻。北の富士は10勝どまり。結局この1年は史上稀に見る戦国時代で、6場所とも優勝力士が変わり、年間最多勝は3年連続の北の富士に代わり、輪島が63勝(平均10.5勝)ながら手中にした。一人横綱が大不振に陥ったうえ、穴を埋めるべき大関の不在で良く言えば白熱した、悪く言えば締まらない一年だった。  大鵬も短期間ながら一人横綱を経験している。若乃花と朝潮がいた時代に柏戸と同時昇進。後に栃ノ海、佐田の山が上がったが王座は譲らず、二人は先に引退。44年7月柏戸も退いて一人横綱となる。すでに30回の優勝を記録していた大鵬は、同年3月まで45連勝を記録しており、まだバリバリ。しかし、連勝の疲れが出たかやや不調。この場所も千秋楽相星決戦で新大関清国に優勝をさらわれた。北玉も停滞期で、琴櫻も故障がち。新大関優勝の清国や関脇長谷川に勢いがあった。番付上も大鵬の一人横綱となった秋、九州、45年初場所は、北玉が復調して優勝を争い同時に横綱昇進。大鵬は九州場所で故障し連続休場、鬼の居ぬ間に柏鵬時代から北玉時代へのバトンタッチが行われた。その後大鵬が踏ん張って北玉時代到来に待ったをかけ、3横綱の鼎立となるのだが、それは「3横綱時代」で。  1月は大関大乃国を終盤逆転して優勝、3月は途中休場して横綱不在の事態を招いたが、5月は大関北尾と並走し相星決戦を制す。7月も北尾との争い、関脇保志の援護射撃で1差、千秋楽の直接対決で全勝を阻まれたが決定戦を制して優勝した。北尾は2場所連続で優勝にあと一歩と迫ったこと、全勝千代の富士との本割に勝ったことが評価されて横綱双羽黒誕生となる。これで千代の富士の一人横綱時代は終わるが、その後も連覇を5まで伸ばした千代の富士の存在感は孤高の横綱といった域に達していた。  明けて55年、輪島が序盤で休場して3横綱の争い。全勝三重ノ海を2敗で2横綱と関脇増位山が追ったが、13日目の大一番で三重ノ海が北の湖を退けて勝負有り。連続優勝を決めると、初の全勝も記録した。ベテラン三重ノ海の勢いが凄まじかったが、春場所千代の富士に23連勝で止められると、3連敗で途中休場。以後皆勤は夏場所の10勝のみ。肩を痛めて急に燃え尽きた。  1横綱の4場所間、大横綱大鵬は11勝、11勝、途中休場、全休と優勝なし。宿命ライバル柏戸の存在の大きさが浮き彫りとなった。実質大鵬時代であっても、柏鵬時代の看板は伊達ではなかったと言える。その後復調しているからたまたまこの4場所が不調期だったという解釈もできるが、無敵の大横綱大鵬にしても一人横綱の重圧はなかなかの強敵だったと見える。遂に訪れた名実共に大鵬1強時代に、皮肉にも北玉時代の幕が開けることとなった。  新国技館開館の60年初場所、連敗した北の湖は遂に引退を表明。10年半守った横綱の座を退いた。3横綱の一角となった最後の5年は苦しんだが、前年の復活優勝で存在感を示した。隆の里も以降皆勤は1場所だけで、1年後に引退する。  31年初場所は鏡里が平幕鶴ヶ嶺を退け初の連覇。千代の山は怪我で途中休場、吉葉山、栃錦も9勝と本調子には遠く、新大関若ノ花が鏡里に土をつけて追いすがったが届かず。4横綱で死守してきた賜杯だが、31年春ではついに手放す。中盤までは皆まずまずだったが、大関の若ノ花と大内山に対して誰一人勝てず揃って後半失速、二桁勝ったのは吉葉山だけだった。12勝で巴戦になり、大関若ノ花、平幕若羽黒を下した関脇朝潮が初優勝した。夏場所も横綱陣は千代の山しか二桁に乗らず。栃錦は途中休場し、千秋楽結びは7−7の吉葉山が9−5の鏡里を下して辛うじて勝越し。またも12勝の決定戦になり、大関若ノ花が初優勝した。秋場所は綱取りに注目が集まる若ノ花が無傷で走ったが、全休の千代の山を除く3横綱が食い下がる。13日目から3横綱に挑むはずだったが、1敗の鏡里戦に高熱に倒れた若ノ花は不戦敗。栃錦との2敗対決を制した吉葉山が久々に優勝戦線に残ったが、千秋楽1差対決は鏡里が本割で勝ち切って賜杯を奪回。  そして33年初場所。先場所の覇者を破ってスタートした西横綱吉葉山だが、2日目から3連敗。3場所前の覇者安念山を下し五分としたが、再び連敗したところで引退を発表。ついに横綱として優勝を果たすことはできなかった。東張出横綱の34歳鏡里も、8勝、全休に続く場所。初日から白星先行ながらヌケヌケの星取りで、「10勝できなければ引退する」としていたが、13日目若乃花に敗れて6敗目。そこから優勝圏内の千代の山と栃錦を連破するが、公約通り引退した。2横綱が引退したこの場所、2横綱との優勝争いを制して優勝した大関若乃花の横綱昇進が決まった。以降、千代の山は休場がちになり、栃若二強の時代がやってくる。  急遽一人横綱となった北の富士は、この秋巡業では玉の海の綱を締めて不知火型の土俵入りを披露するなどしていたが、まさに一人二役の重圧を背負うことになった。九州場所は独走で13日目に連続優勝を決め、その重責を全う。この場所4大関は誰も二桁勝てず。前の山以外は29歳の北の富士より年上と伸びしろは期待できない。輪島や貴ノ花、三重ノ海など若手はまだ三役あたり。しばらくは名実ともに北の富士が一人横綱で安泰と思われた。  朝青龍も、貴乃花や武蔵丸がもう少し長く綱を張っていれば生きた見本として行動を見習うこともできただろうし、弱くても他の横綱がいれば精神的にももう少し安定しただろう。一人横綱が解消してさらに大荒れになったのも、虚勢を張りつつ一人横綱に適応していた分、2横綱になったことで白鵬に牙城を崩される焦りを生み、却って精神面を揺さぶったからかもしれない。

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